薬の町「道修町(どしょうまち)」薬種問屋の歴史と現代の大阪

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薬の町「道修町(どしょうまち)」薬種問屋の歴史と現代の大阪

更新日: 2022-03-03地域情報
薬の町「道修町(どしょうまち)」薬種問屋の歴史と現代の大阪

皆さんは、大阪に「薬の町」と呼称される場所があることをご存じですか?
大阪に住んでおられる方や、地域の情報に詳しい方、また、寺社仏閣や町の歴史に詳しい方は特にご存じの方も多いのではないでしょうか。もしかしたら、初めて聞いたという方もいらっしゃるかもしれません。
薬の町として有名なエリアは大阪市の「道修町(どしょうまち)」というエリアで、その独特な読み方でもたびたび話題になります。この道修町について、関西テレビで1月4日(火)に放送された番組「池上彰の関西人が知らないKANSAI」で興味深いお話が紹介されていたので、少しご紹介してみようと思います。

「道修町(どしょうまち)」

大阪市中央区「北浜(きたはま)」エリア内にある「道修町(どしょうまち)」は、古くから「薬の町」として親しまれてきました。江戸時代から薬種問屋が集積していたことでも広く知られており、現在でもその名残から、大手製薬会社が林立するエリアです。道修町は、くすりの道修町資料館や医薬にゆかりのある祭神を祀っていることから「薬の神様」として広く愛されている「少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)」を有するなど、医療や薬と非常に関わりが深い町なのです。

健康の神様・薬の神様「少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)」

少彦名神社は、大阪市中央区の北浜エリアのオフィス街に鎮座しています。少彦名神社は、神皇彦霊神(かんむすびのかみ・万物生成の神)の子である日本医薬の祖神・少彦名命(すくなひこなのみこと)と、中国医薬の祖神・神農炎帝(しんのうえんてい)がご祭神として祀られおり、「健康の神様」「薬の神様」として全国的にも広く知られています。また、交易の神様として商売繁盛の神徳があるともいわれています。別名で「神農(しんのう)さん」と親しみをこめて呼称され、道修町ではもちろん、全国的に愛されている神社です。
1822年に大阪でコレラがまん延した時、「虎頭殺鬼雄黄圓(ことうさっきうおうえん)」という疫病除薬をつくり、少彦名神社の神前で祈祷をして罹患者に施したそうです。その際に併せて配布された「張子の虎」が現在でも病除けのお守りとして少彦名神社では人気があり、買って帰られる方も多いそう。11月22日・11月23日には神農祭が行われ、五葉笹に吊るされた「張子の虎」(神虎)が授与されるため、参拝者が大事そうにそれを持ち帰る様子を、この神農祭の時期にはよく目にします。

現在では、新型コロナウイルスがまん延するこのご時世ということもあって「疫病退散祈願」のために少彦名神社を訪れる方も多く、改めて多方面から注目されている神社であることがわかります。新型コロナウイルス退散祈願のための疫病退散祈願御札や、健康守などを求めて参拝に訪れる方も増えており、少彦名神社の「疫病退散祈願御札」の御札の包み紙には、疫病退散の神虎と笹・少彦名神社の社紋の薬印が施されていて、非常にご利益がありそうですね。公式サイトでの紹介によると、御札の包み紙に意匠を施すのは、少彦名神社が全国でも初めてということです。少彦名神社は、大阪の都心部・梅田エリアからも近く、地下鉄堺筋線の「北浜駅」から徒歩スグのところにあります。また、梅田駅から乗り換えをせずに行きたいのであれば、地下鉄御堂筋線の「淀屋橋駅」で下車すれば、多少歩きはしますが、地下道を通って北浜駅に出られます。アクセスもしやすいので、梅田周辺に訪れた際にはぜひ立ち寄ってみてくださいね。

道修町はなぜ薬の町になった?

さて、ここで番組で紹介されていた内容をご紹介していきます。
道修町が「薬の町」と呼ばれるようになったのは、1722年(享保7年)、八代将軍 徳川吉宗が大坂(現在の大阪)を訪れたことがきっかけだそうです。紀州から江戸に帰る途中で、徳川吉宗は大坂で病を患ってしまいます。その病を治療しようと待医がさまざまな手を尽くしましたが、徳川吉宗の病状は思わしくない状態に陥ります。そんな時、道修町から捧げられた煎じ薬が非常に効果があり、徳川吉宗の病は治ったということです。このことに恩義を感じた将軍吉宗は、道修町の124軒の薬種問屋に特別な権限を与えたとされています。その権限というのが、道修町の薬種問屋が日本で流通するすべての薬の適性検査をし、さらに値段をつけ全国各地へ売ることができる権利。つまり、当時の江戸幕府で、現代でいうと厚生労働省のような重要な役割を与えられたということです。それからは日本で扱われる薬は一度道修町に集まり、道修町が拠点となり品質保証された上で全国に流通していくことになったというわけです。
全国的に有名な「富山の薬売り」も、道修町で仕入れた薬や原料を富山で加工・調合して、全国に売っていたそう。
このように、道修町は「薬の町」として発展し、現在もその歴史を受け継いでいるというわけですね。

当時の薬種問屋の名前と現在の製薬会社のつながり

番組では、実に興味深い、当時の薬種問屋の名前と現在の製薬会社のつながりについても紹介していました。
当時の薬種問屋の名前を見てみると以下のようなつながりがあるようです。

  • 「田辺五兵衛商店」→現在の「田辺三菱製薬」
  • 「武田長兵衛商店」→現在の「武田製薬工業」
  • 「塩野義三郎商店」→現在の「シオノギ製薬」

このように、当時の薬種問屋の名前が、各々の変化と進化を伴いながら現在の大手製薬会社の名前に受け継がれていることがわかります。会社の名前が、当時の道修町の歴史をも内包し、「薬の町」のひとつの物語になっているだなんて、なんだかとても感慨深いですよね。

道修町の当時の薬種問屋の生活を伝える建物

道修町エリアは、大手企業が集積するオフィス街であり、また近年はタワーマンションなども立ち並ぶようになったエリアです。そんな中にあって、少々異色の雰囲気を醸し出し、それでいて特別な存在感を放つ昔ながらの建物が建っています。それが「旧小西家住宅史料館」です。旧小西家住宅史料館とは、合成接着剤「ボンド」でおなじみの「コニシ株式会社」がかつて本社として使用していた建物で、1903年(明治36年)に完成し、時代とともに起こってきた地震や戦争などのさまざまな被害を奇跡的に免れてきました。100年以上の歴史を持つ大変貴重な建物で、2001年(平成13年)には国の重要文化財に指定されています。
旧小西家住宅史料館の構造は、玄関から入ると奥に進むにつれて店・住居・倉庫と大きく分けて3つに分かれています。一階にある住居スペースだけでおよそ100坪もある広大な敷地を有しており、居住棟の入り口に10坪ほどの台所スペースが存在。その台所には大きなかまどが3つ陳列していて、かつて家族以外の従業員が住み込みで働いていたため、当時はおよそ50人分のも食事が賄われたといいます。
1994年までコニシ株式会社が本社として使用していたそうですが、現在は本社機能を隣のビルに移し、2020年よりここを史料館として一般公開しています。住宅見学ゾーンは当時の暮らしの様子を閉じ込めた貴重なスペースとして活用され、かつて店舗として使用されていたスペースは改装され展示ゾーンもできているそうです。
薬種問屋がどのようなところだったのか、当時の暮らしはどのようなものであったのか、そんな貴重な数々の史料が残されている「旧小西家住宅史料館」で、古の大阪の姿に触れてみてはいかがでしょうか。

「旧小西家住宅史料館」公式サイトはコチラ
※旧小西家住宅史料館は完全予約制、入場無料です。2022年2月現在、新規予約を停止されていますので、詳しくは旧小西家住宅史料館の公式サイトをご確認ください。

さいごに

道修町がある北浜エリアは、大阪でも有数の金融街であり、行政の要所として機能を担うエリアで、関西経済の中枢であると同時に大手企業の集積地として有名なオフィス街でもあります。北浜エリアの特徴の一つが、明治から昭和時代に建てられた歴史が感じられるレトロな建物が点在している点で、オフィスビルや高層マンションなどに混ざって、当時の面影を残す登録有形文化財や、他にも重要文化財に指定されている建物を有する珍しいエリアです。近年では昭和レトロブームの流れもあり、そのような建物を利用したカフェや喫茶店が改めて注目されており、貴重な建物でのティータイムを楽しもうと訪れる方も多いようです。
そのような街並みを楽しみながら散策してみると、タイムスリップしたような特別な体験ができるので、エリアをのんびり散策するのもオススメです。

薬の町と呼ばれるようになった道修町もまた、その北浜エリアの中にあり、過去の歴史を色濃く残す貴重なエリアです。上述したように、当時の薬種問屋の名前と現在の製薬会社のつながりを考えてみると、全国各地にある町の由来や名称、歴史と現代をつなぐ何かが実は隠されているのかもしれません。そのような視点で見てみると、いつも通りのはずのあなたの住んでいる町が少しいつもと違って見えてきて、なんだかわくわくしてきませんか。

筆者: コラム担当 井上

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